2015-01-01から1年間の記事一覧

理性による認識と心による認識

愛、自由、生と死、信仰などは、すべてこの「神秘」の次元に属しています。「神秘」に近づくのにふさわしいのは、素直な驚き、謙遜、畏敬、そして相手をありのままに受け入れようとする開かれた心の態度ではないでしょうか。(中略)…この世には人間の力量や…

神が神に祈るとは

三位一体のうちの子の人格が、三位一体のうちの父なる人格に、何か要求を祈る。 できればこの苦杯を取り除いて欲しい、でも究極的には父の御心のままにしてくださればいいんです。これが唯一神の中でやり取りされている心理的ドラマだとすると、一種の自作自…

早起きは三文の得?

The Power of Positive Praying という祈りの仕方についての本を読んでいたさいに持った疑問。 この本で著者は、祈りの手本はすべからくイエスにあるべし、として、真似るべきイエスの祈り方10パターンをあげている。その10番目に、朝早く祈るという項目があ…

神は自分のかたちに

神は自分のかたちに人を創造された。(創1:26)So God created man in his own image, スポーツジムの混み合う浴場で風呂に浸かりながら、むくつけき男どもの裸体をぼーっと眺めていて、ふとこの聖句が思い出された。神の作られた被造物の中で、人の肉体がも…

神は自分のかたちに(2)

昨日の聖句のすぐ前で違う言い方がされている。「さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。」(創1:26)And God said, Let us make man in our image, after our likeness:この箇所について、BIBLE navi (聖書を実生活に応用するための解…

唯物主義者の道徳性

よくやった、と誉めてくれる神の存在を信じず、天国への切符を貰いたいがために道徳的であるのではなく、死後に何の見返りがなくても、ただ単にそうすることが正しいと思うからそうしているという人がいるとして、そういう道徳的な唯物主義者は道徳的な有神…

神の神らしさとは

目の前に私が神だ、という存在が現れて、様々な超常能力を発揮したとして、その者が極度に発達した科学力を持った宇宙人ではなく、まさしく神であると信じられる証拠はなんだろう。(イエスの奇跡を目撃した人の全てが、イエスを神だと信じたわけではなかっ…

無知でもって神の意を忖度する愚

この時 、主はつむじ風の中からヨブに答えられた 、 「無知の言葉をもって 、神の計りごとを暗くするこの者はだれか」(ヨブ38:1)Then the Lord answered Job out of the whirlwind, and said, Who is this that darkeneth counsel by words without knowled…

信じる者は救われる

信じない者、キリストを受け入れない者は救われないといわれる。 キリストを受け入れるには心の扉を開けさえすればよい。 内側から扉の鍵を閉めているのは神ではなくあなたの側だと。しかしノックの音が聞こえないのに扉を開けようとは誰も思わないだろう。 …

自分の命を愛する者は、

自分の命を愛する者はそれを失い 、この世で自分の命を憎む者は 、それを保って永遠の命に至るであろう 。(ヨハネ12:25)He that loveth his life shall lose it; and he that hateth his life in this world shall keep it unto life eternal.永遠の命欲し…

生命の死にがたさ

なぜ神様は電気をパチンと消すみたいに、簡単に死ねるように作ってくれなかったのか、 いろいろ苦しい思いをしないと死ねないというのは残酷だよ、というのは老父のボヤき。子供を産む苦しみはイブの罪のせいで全ての女に科せられた神の罰?だったが、 人間…

人間はなぜスーパーマンとして作られなかったのか

地震などの天災や栄養失調による餓死、猛暑などの異常気象でも人がバタバタと死んでいく。乳飲み子のうちに死ぬのでは、この世に生まれてくる意味がない。というか、この世に生を受けることに神の意志が介在していると仮定すると、乳飲み子のうちに死ぬので…

信仰の二段階

C・S・ルイスによれば、信仰には二段階あって、例えばまずキリスト教の世界観に知的に賛同すること、そこで説かれている仮説というか理屈に、確信は持てないが、そういう事はあり得る、と知的に賛同する段階がある。第二に、キリストの愛を知る、というよう…

根源的希望とは

信徒の方がこの本いいよ、と勧めてくれたので読み始めた。「キリスト教と私」アルフォンス・デーケン著。その中の一節。 日常的希望というのは、自分の家が持ちたいとか、今度の試験に合格したいなどという、いわば日常生活の次元での希望です。これに対して…