信仰の二段階

C・S・ルイスによれば、信仰には二段階あって、例えばまずキリスト教の世界観に知的に賛同すること、そこで説かれている仮説というか理屈に、確信は持てないが、そういう事はあり得る、と知的に賛同する段階がある。

第二に、キリストの愛を知る、というような、こころの体験、感情的な体験から得る信仰というものがある。これは神のグレース、恩寵によってもたらされるものとされる。

第一段階なしに、いきなりダイレクトに第二の段階に達することもあるかもしれないが、それには一種の神秘体験に近いような心理的体験が必要で、それがなければ、まず第一段階をクリアしないと第二段階の信仰を得るためのこころの姿勢のようなものができてこない。

現代において、キリスト教は第一段階をクリアするための論理と理屈を持っているだろうか?

(自分が読んだ範囲では、インテリジェントデザインによる有神論が成功しているとも思えない。)