人間はなぜスーパーマンとして作られなかったのか

地震などの天災や栄養失調による餓死、猛暑などの異常気象でも人がバタバタと死んでいく。

乳飲み子のうちに死ぬのでは、この世に生まれてくる意味がない。というか、この世に生を受けることに神の意志が介在していると仮定すると、乳飲み子のうちに死ぬのでは、その子に期待された神の意図が実現していると思えない。

神はなぜ、人間をもっと強靭に作らなかったのか。

スーパーマン並みに不死身に作っておいて、全員が一定の寿命で死ぬということにすれば、全てこの世に生を受けた人間は、機会均等に、この世に生まれてきた神の意図を果たして(もしくは失敗という結果を出して)からこの世を去ることができるのに。

神が一人の人間を創造する究極の目的は、その一人の人間が、自らの意志で、神の子となることを選び、愛そのものであられる神との、愛による共同体に参画することだと言われる。(キリストの肢体になる、という言い方をされる。)

その神の計画を実現するために、人間の肉体がこうも壊れやすいものである必要は感じられない。

乳飲み子のうちに亡くなった魂の行き場をキリスト教はどう説明しているんだっけ?