「国木田独歩とキリスト教」(笠井秋生氏)を読む

http://ci.nii.ac.jp/els/110000967443.pdf?id=ART0001139556&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1466148248&cp=(笠井秋生氏)を読む。

独歩とキリスト教の関わりについては既に多くの研究もあるようで、笠井氏のこの論文も参考になった。
笠井氏は独歩本人の自己申告と、それを鵜呑みにした評論家が言うほどキリスト教に挫折したわけではなく、最後まで離教もしていないという事を説いている。笠井氏の指摘するように比較的長いスパンにおける独歩の教会活動の活発さや信徒との熱心な交わりを読むと、一部の評論家が言うような、若気の至りであるとか、明治インテリ青年の流行的なものだったとか、そういう通り一遍のものだったとは思えない。
(独歩の宗教への情熱、ひいてはキリスト教への情熱は、存在の驚異の念とこの宇宙での実存的不安から来ていると思うので、キリスト教会との付き合いの濃淡はあれ、そういう根源的な問題意識は終生持ち続けたはずである。)

しかし素朴な疑問として、「基督は神の愛児にしてまことに神の愛の表現、十字架は罪の贖いなりという確信あらば」というが、その部分の信仰を持てないまま、よく熱心な教会活動が出来たなと思う。(いや、そもそも使徒信条を独歩が望むレベルで「確信」することは不可能な願望ではないだろうか。)

「苦悶の叫」や「文学者ー余の天職」などで吐露している懐疑や自己否定を、独歩は教会活動時代、信徒同士の交わりでも語っていたのだろうか。このような懐疑を抱いていた独歩が親しいクリスチャンとどんな「感話」をしていたのか興味のあるところだ。誰かの証言が残っていないだろうか。