独歩の懐疑

独歩、明治29年頃のエッセイ「文学者ー余の天職」(全集9巻)の草稿から。

神もし許したまわば余は一地方の一伝道師たることを希うなり、
余にして基督を神の独り子なりと心より宣伝し得ば全てのものを投げうって従事せん、天下これより以上の真理なければなり、
故に余に基督は神の愛児にしてまことに神の愛の表現、十字架は罪の贖いなりという確信あらば、余は直ちに筆を投げうって脚絆と草鞋とを用意せん、
余もしこのごとくんば如何に幸福ぞ、要するに文学は到底、懐疑者の隠れ場所のみ、然りカーライルも然り、その他然らざるなしと断言す、(原文旧仮名)

この草稿部分の後に、全集ではこの箇所に続く雑誌掲載時の文章が引いてあり、ほぼ同じ内容ながら違うことも述べているので引用しておく。

故に余にして基督を信じ得ば一地方の山民を相手にして、直ちに救霊の事業に着手すべし。
これに比する時は、その他の事業は殆ど数うるに足らざるなり。
然るに不幸にして、実に不幸にして余には懐疑の雲しばしも晴れず、一閃二閃の大光明、時にこの雲をつん裂き来りて心魂に通るを覚ゆといえども、要するに懐疑の雲晴れ難く、断然宣教の職に従事し能わざるを悲しむ。

独歩は二十歳の時に受洗しているが、おそらくはその時点で教義に確信があったわけではなく、燃えるような信仰に憧れながらも、ついには懐疑から脱することができなかったようだ。(「基督は神の愛児にしてまことに神の愛の表現、十字架は罪の贖いなりという確信あらば」という記述からして、キリスト教の大本の信条に対する信仰に至らなかったことがわかる。)

キリスト教文学としての独歩の真骨頂を言うとしたら、例えばそれは遠藤周作のような、信仰者としての葛藤ではなく、信仰に憧れてついに信仰を得られぬ、信仰の挫折文学というものかもしれない。少なくとも背教や棄教とはベクトルが違うと思う。世にクリスチャン作家は多くいても、独歩的な躓き方はユニーク(それでいて普遍的)ではないだろうか。

おののき立ちてあめつちの
くすしき様をそのままに
驚きさめて見む時よ
其の時あれともがくなり