「国木田独歩 その求道の軌跡」を入手

国木田独歩―その求道の軌跡

国木田独歩―その求道の軌跡

独歩とキリスト教との関わりについて一巻丸々考察している本はないか探したものの、特にそういった内容を伺わせる本は見当たらず、個別の論文でしか扱われていないのかと思いかけていたところに本書を発見。「独歩」「キリスト」を検索ワードにしていたので引っかからなかったのだが、アマゾンの紹介を読むと、まさしく自分が知りたいと思っていることが書いてありそうな内容。独歩のキリスト教信仰の曖昧さを鑑みて、題名にキリスト教という言葉を入れずにあえて「求道」としたのかもしれないが、独歩とキリスト教の関わりについて調べたいと思っている人間に本書が気づかれないとしたらもったいない。以下、その内容紹介の引用。

作品を離れた一人の人間として見るとき、国木田独歩は常にキリスト教から離れきることができず、その意味で求道の道を歩みつづけたことも確かであるが、その内実には、様々な要因が混在している。独歩をして解脱、悟達の境地に達せしめ得たか否か、そしてその求道の軌跡が独歩の作品にどのように現れているのか。本書では、それらの事柄を主としてキリスト教的視点から考察した。

早速、古本で注文していたのだが、本日到着。目次を一瞥しただけで、自分がこれから調べたいと思っていたことが全部書いてありそうで嬉しくなってしまった。目次から本書の射程の範囲がどれ位のものかわかるので、以下に記しておく。

第1章 入信
第2章 自己省察の迷路
第3章 貧窮の中で
第4章 政治への幻滅
第5章 信仰(一)
第6章 信仰(ニ)植村正久(1)
第7章 信仰(三)植村正久(2)
第8章 R・W・エマーソン
第9章 W・ワーズワース
第10章 Th・カーライル(一)
第11章 Th・カーライル(ニ)
第12章 覚醒と驚異の願望
第13章 「願望」の形象化ー詩
第14章 「願望」の形象化ー小説
第15章 終焉

略歴によると、著者の伊藤久男氏は1927年生まれ、青山学院大宗教主任、日本基督教団正教師をされていた方です。