独歩の「岡本の手帳」

牛肉と馬鈴薯・酒中日記 (新潮文庫)

牛肉と馬鈴薯・酒中日記 (新潮文庫)

何十年ぶりかで再読。やはり「岡本の手帳」は素晴らしい。パスカル「パンセ」チェスタトン「正統とは何か」C.S.ルイス「喜びのおとずれ」と共に、好きなキリスト教文学の中でも殿堂入りにしたい作品。

Amazonのレビュワー氏も書いていたが「牛肉と馬鈴薯」だけでは、そこで開陳される岡本の哲学がちょっと言葉足らずで、「岡本の手帳」を読んでようやく岡本の思想の全貌が見えてくる。

文庫の注によると執筆順は「岡本の手帳」の方が先のようだが、「牛肉と馬鈴薯」を先に読み、その後で「岡本の手帳」を読むと、一種の謎解き的な感じで読めるようになっている。(文庫では「牛肉と馬鈴薯」が先に来ているので自然とそういう順番で読めるのだが、この二編は続けて配置されておらず、「岡本の手帳」までたどり着かずに放り出してしまう場合もありそうで、この二編は分けずに合わせて一本の作品として発表した方が良かったのではないか。)

センスオブワンダーの哲学とでもいうか。
存在論的な哲学やある種のSF小説を読んでいる時などに一瞬だけ垣間見える、世界の存在と今ここに自分が存在していることの底なしの神秘の実感。
この存在神秘への驚異の感覚を手放したくないと思いながらも日常生活の中に頽落していかざるをえない生。
存在神秘の感覚を通じての宗教的覚醒への願い。

独歩がこの「岡本君もの」をシリーズとしてもっと書いてくれなかったのが残念。こういう独歩の思索は没後に刊行された日記だという「欺かざるの記」にも記されているのだろうか。もしそうなら是非読んでみたい。