信じる者は救われる

信じる者は救われるという時、神への信仰心を持つことで、すでに救われている、信仰心によってこの世の苦難にも耐える力を与えられている、というのは分かる。しかし信じない者は死後の魂が救われないという教えはただの脅しにしか聞こえず反発心しか起こらない。

少なくとも死後に救われることを願って信仰を持つことが、死後はないと断じて潔く、あるいは諦念を持って死ぬよりも倫理的に優れているとは全然思えない。カルト宗教にハマり、教主を生き神様だと信じたり、占いや何かのご利益を信じることに道徳的善があるとも思えない。

そもそも何かの存在の有無を信じるというのは自由意志に基づいた選択的な行為とも言えない。
人は何かについて、信じられるか信じられないか意志的に決められず、何かを信じるという心性は往々にしてただの騙されやすさだったりする。